「書く」タスク管理 (20210926)倉下コメント
ブロックごとに書いていきます。
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===1 書くことの延長線上にあるタスク管理
物事を扱うのに頭の中だけでいつも完結できるのであれば、それでもよいと思うのですが、その日の調子によっては頭のなかにうずまく感情があったりと、同じ物事を扱うのでも違った考え方や見方(たいていは一方的な見方)をしてしまうことがあります。
そんなときには、日を改めて考えてみるのがよいかもしれません。もしくは今ちょっとだけ脇においておきたい、頭の外に物事を出して扱いたいとき、そんなときには文字にしてみる、図に描いてみる、表にしてみるなどがあります。特に文字または文章にしてみることは、図や表に比べると素早く書き出せて、読んで頭の中に戻すことも容易です。また、後述するアウトラインとして扱うのにも適しています。タスクを書くことは普通のタスク管理でも謳っていますが、タスクついて書く内容と書いてみた内容をどう扱うかといった書くことの延長線上にあるタスク管理についての話をします。
ぐっとわかりやすくなりました。
ただ段落の作り方が、少し違和感があります。
一つ目の段落が「困った状況」の提示であり、二つ目の段落の一行目が、その状況に対するアドバイスの提示になっているのですが、次の行で別の「困った状況」が提示され、そのままアドバイスが続いています。構図が揃っていない印象を受けます。
===1 書くことの延長線上にあるタスク管理
物事を扱うのに頭の中だけでいつも完結できるのであれば、それでもよいと思うのですが、その日の調子によっては頭のなかにうずまく感情があったりと、同じ物事を扱うのでも違った考え方や見方(たいていは一方的な見方)をしてしまうことがあります。そんなときには、日を改めて考えてみるのがよいかもしれません。
もしくは今ちょっとだけ脇においておきたい、頭の外に物事を出して扱いたいとき、そんなときには文字にしてみる、図に描いてみる、表にしてみるなどがあります。特に文字または文章にしてみることは、図や表に比べると素早く書き出せて、読んで頭の中に戻すことも容易です。また、後述するアウトラインとして扱うのにも適しています。
タスクを書くことは普通のタスク管理でも謳っていますが、タスクついて書く内容と書いてみた内容をどう扱うかといった書くことの延長線上にあるタスク管理についての話をします。
たとえばこのような分割(段落作り)をすると、それぞれの段落で扱っているメッセージが一つになって内容がわかりやすくなりそうです。
あと、やはり一文が長い印象です。よくいわれる話ですが「が」で話をつないでいくと、一つの文に二つ以上の内容が入ってきやすくなります。
たとえば冒頭の段落を倉下なりに書き換えてみます。
頭の中だけで、物事がいつもうまく扱えればよいですね。でも、その日の調子によってはなかなかうまくいかないことがあります。頭の中に感情がうずまいていると考えるのは難しくなりますし、一方的で偏った見方に心が支配されてしまうこともあります。そんなときには、日を改めて考えてみるのがよいかもしれません。
同様に、次の段落も、
もしくは今ちょっとだけ脇においておきたい、今は考えたくないときもあるでしょう。そんなときには、文字にしてみたり、図を描いてみたり、表にしてみたりする方法があります。特に文字にする(あるいは文章にしてみる)ことは有用です。図や表に比べると素早く書き出せますし、読んで頭の中に戻すことも簡単にできます。頭の中から外に出したものは、頭の中に戻す必要があるのですから、簡単に戻せることは大切なポイントです。
のような細かい切り方ができるかと思います。
ちなみにですが、文字・文章が「図や表に比べると素早く書き出せて、読んで頭の中に戻すことも容易です」という文ですが、このままだと図や表よりも「読んで頭の中に戻すことも容易」という意味に取れますが、たとえば図の方がぱっと意味がわかる、ということはないでしょうか。
というように、文が繋がっていると、どこにどの意味がかかっているのかがわかりにくくなります。
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===2 Atomicなものとして書き出す
文字または文章にしてみるときは、Atomicに書き出すようにします。私も後に例で出しているように実際にAtomicに書き出しています。書くことについては、メモすることや、ノートをとることにおける「書く」行為も参考になります。Andy Matuschak氏が提唱されたEvergreen notesというノート術に「Evergreen notes should be atomic」とあります。ここにあるAtomicの意味に着目したいと思います。
Atomicというのは、単語として「原子の」「きわめて小さい」という意味ですが、ここではこれ以上分割できないというよりは、むしろ化学元素の最小単位であり、なおかつ下部構造の陽子の数によって原子(元素)が変わるように、最小単位としての要素を切り出すことと、他にも変わり得るものを同時に持つのがAtomicなものと扱ってみたいと思います。そうしてAtomicに書き出すことで、連想・リンクしやすくなります。
書くことの延長線上にあるタスク管理を行う際に、対象をAtomicではない大きな塊として(それは得てして複雑なものです)書いてしまっていては、連想・リンクさせにくくなります。それは、発想や変化を生み出しにくくなります。複雑な形の大きなジグソーパズルのピースが他にはまりにくいように、単純な形の小さなピースのほうが他のものと合致しやすいものです。
たとえば、「髪の毛を切る」といったタスクについてAtomicなものとして書き出すとき、それは普通のタスク管理で大きなタスクを小さなタスクに分ける分解とはちょっと異なったものになります。
分解
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
床屋・美容院を予約する
予約した日時に床屋・美容院に行く
床屋・美容院で髪を切ってもらう
床屋・美容院から帰ってくる
Atomicなもの
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
行くのが面倒くさいので、なにかのついでに行ってこようかなと思う
そういえば、近くに気になってたケーキ屋さんに寄ってみたい
ケーキをごほうびにして床屋・美容院を予約する
どうでしょうか。分解には、足して元の形にもどるという制約が盛り込まれてしまいます。しかし、Atomicなものは「面倒くさい」「気になっていた」「ごほうび」などの足しても元の形に戻らない要素がでています。そして、「そういえば」という連想・リンクが繋がっているところも注目してみてください。
とはいえ、分解が必要ないわけではありません。分解はAtomicに書き出すことのの一種であり、対象を小さい要素に分けることで整理したり、実行に移しやすくなります。このように同じ「髪の毛を切る」でも、Atomicなものとして書き出すと、ケーキ屋さんに行くついでに床屋・美容院に行っているようなところさえあります。
行頭の「文字または文章にしてみるときは、Atomicに書き出すようにします。」が少し引っかかりました。この「します」は、読者に対して「こうせよ」というアドバイスなのでしょうか。つまり「Atomicに書き出すようにしましょう」という意味なのでしょうか。
もしその意味であれば、タスク管理を行うすべての人への提言なのか、何かしらのメソッド内においてそのやり方が推奨されているのかが判然としません。後半の方で「書くタスク管理」について定義している文、冒頭にそれが出てこないので、今これが何の話をしているのかが読み手には解釈しにくい部分があります。
たとえば、冒頭で「これから「書くタスク管理」について紹介します」とあって、次で、「文字または文章にしてみるときは、Atomicに書き出すようにします」とあれば、ああこれは「書くタスク管理」という方法論の考え方なのだなとわかりますが、その情報がないので、この一文をどう位置づけていいのかがふんわりとしたままになっています。
適切な書き換えではないと思いますが、倉下が書き換えるなら、たとえばこんな風になります。
私は、文章にして書き出すときには「Atomic」に書き出すようにしています。Atomicとは何でしょうか。これは、Andy Matuschak氏が提唱したEvergreen notesというノート術出てくる「Evergreen notes should be atomic」のAtomicに注目したものです。
(いろいろ書いたあとで)
以上のように、書くことによるタスク管理については、メモすることや、ノートをとることにおける「書く」行為も参考になります。
これが別段正解というわけではないです。冒頭で「これから、書くことを中心としたタスク管理の進め方をご紹介します」のような文言があれば、読み手は「ああ、これからそういう手順を教えてもらえるのだな」という心の準備ができるので、「文字または文章にしてみるときは、Atomicに書き出すようにします。」から入っても大丈夫だと思います。
ただ「文字または文章にするときは、Atomicに書き出すようにします」でも十分意味が通じるかとは思います。
ともかく、
タスクを書くことは普通のタスク管理でも謳っていますが、タスクついて書く内容と書いてみた内容をどう扱うかといった書くことの延長線上にあるタスク管理についての話をします。
===2 Atomicなものとして書き出す
文字または文章にしてみるときは、Atomicに書き出すようにします。
この接続が若干ジャンプ感を感じたので、もうちょっとマイルドに接続したいところです。
たぶん、「文字または文章にしてみる」の文言が直前の段落に出ていないので、突然感が出ているのでしょう。
タスクついて書く内容と書いてみた内容をどう扱うかといった書くことの延長線上にあるタスク管理と文字または文章にしてみるの関係性が明示されていないので、読者は内容をどう扱うかといった書くことの延長線上にあるタスク管理についての話が次にやってくるのだとイメージしているのに、文字または文章にしてみるときはの話題が出てきて、「ん?」という感じになるのだと思います。
そうしてAtomicに書き出すことで、連想・リンクしやすくなります。
ここ少し突然感があります。
そうしてAtomicに書き出すと何が嬉しいのでしょうか。それは連想・リンクしやすくなることです。
そうしてAtomicに書き出すと、連想・リンクしやすくなる特徴があります。
などの書き換えか、あるは、この文は段落のメッセージから発展的なので切り出す方法か。
Atomicというのは、単語として「原子の」「きわめて小さい」という意味ですが、ここではこれ以上分割できないというよりは、むしろ化学元素の最小単位であり、なおかつ下部構造の陽子の数によって原子(元素)が変わるように、最小単位としての要素を切り出すことと、他にも変わり得るものを同時に持つのがAtomicなものと扱ってみたいと思います。
そうしてAtomicに書き出すと、連想・リンクしやすくなります。
などがありそうです。
それは、発想や変化を生み出しにくくなります。
文法的に若干変です。
それでは、発想や変化を生み出しにくくなります。
それでは、発想や変化を生み出しにくくなってしまいます。
それは、発想や変化を生み出しにくくしてしまいます。
あたりかと。
複雑な形の大きなジグソーパズルのピースが他にはまりにくいように、単純な形の小さなピースのほうが他のものと合致しやすいものです。
一般的に、「Aなように、B」の表現は"たとえ"で使われます。Aと似た構図が別の事例のBにでも言える、という感じです。文の内容は対比ですので、たとえば、
複雑な形の大きなジグソーパズルのピースは他にはまりにくいですし、単純な形の小さなピースのほうが他のものと合致しやすいものです。扱いやすいのは後者でしょう。
のような(最後の一文は勝手に加えました)感じかと。
たとえば、「髪の毛を切る」といったタスクについてAtomicなものとして書き出すとき、
以下のどちらかでよいかと。
たとえば、「髪の毛を切る」といったタスクをAtomicなものとして書き出すとき、
たとえば、「髪の毛を切る」についてAtomicなものとして書き出すとき、
基本的に短くできるところは短くすると読みやすくなります。
どうでしょうか。分解には、足して元の形にもどるという制約が盛り込まれてしまいます。しかし、Atomicなものは「面倒くさい」「気になっていた」「ごほうび」などの足しても元の形に戻らない要素がでています。そして、「そういえば」という連想・リンクが繋がっているところも注目してみてください。
>
> とはいえ、分解が必要ないわけではありません。分解はAtomicに書き出すことのの一種であり、対象を小さい要素に分けることで整理したり、実行に移しやすくなります。このように同じ「髪の毛を切る」でも、Atomicなものとして書き出すと、ケーキ屋さんに行くついでに床屋・美容院に行っているようなところさえあります。
細かく見ていきます。
分解には、足して元の形にもどるという制約が盛り込まれてしまいます
このままでいくなら「分解では」が自然な日本語でしょう。
「制約」という表現ならば、「元の形に戻せる」という言い方がフィットしそうです。
制約が盛り込まれている、というのがちょっと伝わり難いです。
分解では、足して元の形に戻らなければならない、という制約が出てきます。
あたりで問題なさそうです。「盛り込む」だと何かたくさん入り込んでくるイメージがあります。似た言葉だと「織り込まれる」とかでしょうか。
Atomicなものは「面倒くさい」「気になっていた」「ごほうび」などの足しても元の形に戻らない要素がでています。
たしかに足しても元の形に戻らなくなっています。ただしそれがAtomicとどう関係しているのかがうまく見えてきません。なぜ、Atomicなものは、足しても戻らないのでしょうか。言い換えると、Atomicに書くとはどういうことなのかが、ここまでを読んだだけではよくわかりません。「分解」とは違うというのはわかるのですが、じゃあAtomicってなんだよ、が見えてこないのです。
むしろ私には、Atomicに書こうとした(書いた)結果として、「分解」とは違う何かが起こって、それによって足しても戻らなくなったのだと感じられます。その「違う何か」を分解と対比させて感じ二文字で表現できると良さそうです。
つまり、分解:atomicの対比は、比較対象がズレているのではないか、ということです。
分解:hoge
であり、このhogeがatomicによって起きやすい、という印象。
最後の段落で「分解はAtomicに書き出すことの一種」と書かれているので、その辺が整理されると、さらにわかりやすくなりそうです。
このように同じ「髪の毛を切る」でも、Atomicなものとして書き出すと、ケーキ屋さんに行くついでに床屋・美容院に行っているようなところさえあります。
この一文は元の段落から切り出して新しい段落にされた方がよろしいかと思います。
あと構文的には、「同じAでも」というならば、「同じAでも、Xならhogeだが、Yならhogaだ」のように対比的に書かれると見通しがよくなります。
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===3 自分なりのアウトラインを作る
Atomicに書き出したものをどのように扱うかというと、文字情報を扱っていることを生かしてアウトラインとして操作することができます。アウトラインの基本的な操作としては、『アウトライン・プロセッシング入門』を参照してみてください。
アウトラインにするとき、あとで読み返したときのために理解しやすいよう、つまりそれは頭の中に戻しやすいように整理しておきます。そうすると頭の外に書き出していたものを読み返して再び頭の中に戻すといった「頭の外と中とで行き来しやすい形」になります。この「頭の外と中とで行き来しやすい形」にしておくと考える助けになります。「頭の外と中とで行き来しやすい形」には、人のアウトラインにならうより、自分なりのアウトラインを作ることが重要になります。では、自分なりのアウトラインとは何でしょうか。それは未だないものを認識するアウトラインです。
先ほど挙げた「髪の毛を切る」アウトラインを見てみましょう。前者は、頭の外にある事柄を土台(ベース)にして作り上げ頭の中へと入れておく、すでにあるものを認識するアウトラインとなります。いわば「手順」のような誰が作ってもほとんど同じとなるものです。客観的な事象に基づく事柄を書き表しています。このときの主体はタスクにあり、タスクに関する理解が進むことになります。
後者は、頭の中にある事柄を土台(ベース)にして作り上げ、意識の上に現し出しておく、未だないものを認識するアウトラインになります。いわば「気づき」のような人それぞれ自分なりのアウトラインになりやすいものです。主観的な事象に基づく事柄を書き表しています。このときの主体はタスクの担い手(書き手)にあり、担い手(書き手)関する理解が進むことになります。
Atomicに書き出したものをどのように扱うかというと、文字情報を扱っていることを生かしてアウトラインとして操作することができます。アウトラインの基本的な操作としては、『アウトライン・プロセッシング入門』を参照してみてください。
アウトライナーに親しんでいる人ならば、「アウトラインとして操作する」の表現は通じるでしょうが、そうでない人はわりと掴みづらいと思います。
操作方法などは『アウトライン・プロセッシング入門』にまかせてOKですが、そのような操作ができるとどんな嬉しいこと、役立つのかを提示しておかないと、読者としてはわりとおいてけぼりな感じがあります。
アウトラインにするとき、あとで読み返したときのために理解しやすいよう、つまりそれは頭の中に戻しやすいように整理しておきます。そうすると頭の外に書き出していたものを読み返して再び頭の中に戻すといった「頭の外と中とで行き来しやすい形」になります。この「頭の外と中とで行き来しやすい形」にしておくと考える助けになります。(retrun)「頭の外と中とで行き来しやすい形」には、人のアウトラインにならうより、自分なりのアウトラインを作ることが重要になります。(retrun)では、自分なりのアウトラインとは何でしょうか。それは未だないものを認識するアウトラインです。
「頭の外と中とで行き来しやすい形」するのは、おそらく「文字として(文章として)」書き出すときのポイントではないでしょうか。つまり、この話はもっと最初の方に出てきてもよいのではないでしょうか。
つまり現状だと、アウトラインにするときだけ、「頭の外と中とで行き来しやすい形」に気をつければいい、というように読めてしまいます。
(retrun)入れた部分で意味が切れているので、段落を分けられた方がよいかもしれません。
先ほど挙げた「髪の毛を切る」アウトラインを見てみましょう
"先ほど挙げたもの"が、急に「アウトライン」になっています。それまでの説明で、あの列挙が「アウトライン」であるとは書かれていないのでかなり唐突な感じです。
直前の文章に「アウトラインにするとき」というように、アウトラインには「する」ものだという印象もあるので、それと合わせて、「いつのまにアウトラインになったんだ」という感じがします。
"先ほど挙げた「髪の毛を切る」"もアウトラインとして捉えられます、的な文章があればぐっと話が接続すると思います。
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===4 リストにあるタスクからの選択とリストにないタスクからの選択を並走させる
Atomicに書き出して、自分なりのアウトラインにしたものは、ノートやリストとして書いて残してみます。そうしたノートやリストの使い所として挙げるならば、日々を過ごす中でやること(またはやらないこと)について使ってみるのはどうでしょうか。以下に挙げるのは実際に自分が書いて残したものの例です。
週末に買い物に行くときに、買うもの、または買わないものを書いて残しておく。
気になった本があったときにタイトルをメモして残しておく。
家族の予定を聞いたときに書き留めておくなど。
ノートやリストを使ってみるときに気をつけたいのは、ノートやリストにしたものからだけやることを決めるものではないということです。せっかく、やることについてノートやリストを使ってみることにしたのに、と思いたくなりますが、やってみるとわかりますが、すべてのやることに対してリストから選択するのは、「言うは易く行うは難し」で意外とハードルが高いです。
最初は、リストを気にせず選択することを優先して、適宜ノートやリストに書いて残しておくほうが慣れるまでは破綻しにくいと思われます。そうして徐々にノートやリストができあがってくると、リストがあるからリストにないタスクをやっていても元のタスクに戻ることができると思える状態が生まれてきたりします。リストに「休む」というタスクはなくても休みたいと思えば、休む選択をする。リストにないやることでも必要だと判断したらやる選択をする。そのようにして、リストにあるものとリストにないものとを並走させながらハイブリッドに選ぶようにします。そうして、リストにないものをやったときには再び適宜ノートやリストに書いて残すことを繰り返してみましょう。
Atomicに書き出して、自分なりのアウトラインにしたものは、ノートやリストとして書いて残してみます。
書き出して、アウトラインになっているものは、すでに「書き残されている」と思うのですが、それとは違う何かの操作が「ノートやリストとして書いて残して」みることにはある、ということでしょうか。それとも単に、捨てないで取って置く、くらいの意味合いでしょうか。
以下に挙げるのは実際に自分が書いて残したものの例です。
ブロック2で「私も後に例で出しているように」となっているので、「私が」に揃えたほうが読みやすいです。
リストに「休む」というタスクはなくても休みたいと思えば、休む選択をする。
ごく単純に思うのですが、タスク管理をまったくやっていない人は、たぶん普通にやっていることだなと、思いました。
このメッセージはむしろ、「タスク管理」の考え方に強く縛られてしまって、リスト外の行動ができない人への処方箋として役立ちそうです。その意味で、ここはタスク管理中級者向けの提言であるように感じられました(別にそれが悪いということではなく、単なる感想です)。
上のことを思って、この文章はタスク管理初心者に向けられているのか、中級者(一度挫折を経験した人)に向けられているのかを検討してみてもいいかもしれません。その答えによって、書くべきこと、書かないことがより判断しやすくなるので。
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===5 既存のシステムと自分のやり方をシェイクする
ノートやリストがただ点在していても、まとまりがありません。まとめるためのやり方にはどんなものがあるのでしょうか。時間が潤沢にあり、車輪の再発明もいとわないのであれば、ゼロから自分のやり方を作ることも可能です。また,そこに楽しみがあったりもします。ですが、もしかしたらそうしてせっかく作り上げた自分のやり方も過去の先人たちに遠く及ばないものかもしれません。もし、過去の先人たちの編み出した既存のシステムにどんなものがあるのか調べてみたくなったときには、うってつけの本として『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』(以下「やるおわ」)がありますので参考にしてみて下さい。
既存のシステム
GTD
自分←イマココ
マニャーナの法則
GTDからのトップダウンでGTDのシステム内に自分が入ることで、これまでの自分のやり方になかった部分を学び、吸収する格好になります。ただ、残念ながら既存のシステムを知っただけで、自分のやり方として使うことは窮屈で困難なことだと思います。そこで以下のとおり、アウトラインをシェイクしてみます。
>トップダウンでの成果とボトムアップでの成果を相互にフィードバックすることで、書きながら浮かんでくるランダムな発想を活かし、有機的に連結していく
自分のやり方
GTD的←イマココ
マニャーナ的
自分(のやり方)をボトムアップさせて、GTDにトップダウンの形をとります。これだと自分のやり方のトップダウンでGTD的なシステムを扱うイメージができそうでしょうか。
GTDを使ってうまくいかないことも出てきたら、もしかするとまだ充分にGTDを学んだといい難い部分があるのかもしれません。そうしたときにふたたびGTDからのトップダウンで自分を位置づけます。こうしたシェイクを繰り返すことで、だんだんと自分のやり方としてGTD的な要素をAtomicに取り入れていくようにします。もしかすると、GTDそのものが自分にとって充分ではない部分があることに気づくかもしれません。
GTDをやっていても、GTDとは別のやり方をしたくなったら別のやり方をやってみます。これも「ハイブリッド」でやっていくやり方です。それを他の方法も含めて繰り返していくと、それらが組み合わさって自分なりのやり方ができあがってきます。これは「シェイク」に相当するものです。シェイクのやり方が受け入れられると、自分のやり方が崩れたときにも対応できるようになります。
タスク管理で使うシェイクは、シェイクの一部でしかなく、広く文章を書くときにシェイクというのが有効となりますので、詳しくは『アウトライナー実践入門 ~「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術~』を参考にしてみて下さい。
すっと読めました。
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===6 自分のやり方の崩れに気づく
「既存のシステムと自分のやり方をシェイクする」ことで曲がりなりにも自分のやり方でやってみてうまくいくところを見つけることができたとします。でも、うまくいくようになった(できた)のに、自分でそのやり方を意識していないうちに崩してしまうようなことがあります。無理をしているところ、またはあとで無理がたたってくるようなことはないかどうかを確認してみます。
物事は変化していくので、崩れてあたりまえです。これを崩さまいとしたり、崩れたことに失望しているよりも、崩れたものを元に戻すのか、もしくは崩れたやり方のほうこそ本来の使い方とするのかを考えてます。うまくいかなかった(崩れた)ことを「Atomicなものとして書き出す」こと、そしてそれを「自分なりのアウトラインを作る」ようにしてみます。必要であれば再び「既存のシステムと自分のやり方をシェイクする」こともよいでしょう。
気をつけたいのが、「既存のシステム」と「自分のやり方」と比較して崩れている(合致していない)ことよりも、「うまくいっている(ときの)自分のやり方」と「うまくいっていない(ときの)自分のやり方」とを比較して崩れている、崩れてしまった部分に着目するようにします。こういうときに「書くこと」が大切になります。なぜ崩してしまったのか、崩れないようにするにはどうすればいいのかを自分のやり方に含める(または取り除く)ことを考えます。
ここもすっと読めました。
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===7 ここに書いたことでさえ
これまでに述べたことを「書くタスク管理」と呼んでみましょう。では、この「書くタスク管理」をそのままやればいいのでしょうか。話はそう簡単には行きません。それは「書くタスク管理」は私にとっては「自分のやり方」でも、人からみれば「既存のシステム」になってしまっているからです。
既存のシステム
GTD
マニャーナの法則
…
書くタスク管理
自分←イマココ
そこで「既存のシステムと自分のやり方をシェイクする」です。
自分のやり方
GTD的
マニャーナ的
…
書くタスク管理的←イマココ
「書くタスク管理」のすべてを取り入れるのではなく、「Atomicなものとして書き出す」ことによって、「自分なりのアウトラインを作る」この繰り返しで、ぜひ自分のやり方を作り上げてみてください。そこまで含めてこそ「書くタスク管理」なのです。
ここもすっと読めました。
2021/9/27 17:11 以上ですrashita.icon
「書くタスク管理」について、どういう人(どういう知識・実施レベル)の人に、どういう理由で伝えたいのか(これを実施すると、どういう良いことがあるのか)をイメージされると、情報の陰影がはっきりしてくるかと思います。
全体的に、ぐっと読みやすくなっています。
玄武.iconありがとうございます!また上記のことを踏まえてリライトしてみたいと思います。